「もうひとつの地球」の登場によって、時間の使い方次第で、差はどんどんつくようになる。それは不可避だ。たとえばネット上にできた「学習の高速道路」は、高速道路といっても学校のカリキュラムほどには整地されておらず、しかも少し先には霧がかかっている。
そして誰からも走ることを強いられない。でもそれが楽しければ、高速道路の先を先を自ら発見しながら疾走することは自由だ。「時間」「距離」「無限」の概念を揺るがすネットの発展によって、個の自由な意志、それを反映した個の時間の使い方が、個の人生を決める度合いが大きくなる。そしてその責任は個が引き受けていかなければならない。リアル世界の物理的制約に規定されて生きざるを得なかった昔に比べて、制約が取り払われた分、個の目的意識がより問われる時代になったということだ。
「自助の精神」について語ると、それだけで日本では強い反発がある。「強者の論理」でいけないと言う人がいるのである。しかし私は「時代の大きな変わり目」たる現代だからこそ、その重要性を大人が当たり前に若者たち、子供たちに伝えていかなければならないと思う。では「自助の精神」で本当に何とかなるのか。それは一人ひとりが自分で判断することだ。突き放した言い方に聞こえるかもしれないけれど、「「自助の精神」なんて言ったって通用するのは強者だけ、弱者には無理」と誰かに勝手に決めつけられるよりはうんとましだろう。何でも政治や社会の構造のせいにして結論づける「格差社会」や「下流社会」をめぐる現代日本の言論の風潮は、裏を返せば一人ひとりの可能性をおそろしく限定して見ているも同然で、それはかえって失礼だと私はいつも思うのである。
本書には、「社会はこうあるべき」と虚空に向け提案を放り投げるような言説はいっさい含まれていない。個に「自助の精神」さえあれば追求可能な新しい可能性やその方向性を考え続けた。志向性を拠り所にできさえすれば、仮にこれまでは「自助の精神」を発揮できなかったとしても、これからはできるのではないか。その一点に期待をかけ、それを直接、一人ひとりの読者に伝えたいと思いながら書いた。
サバイバル優先、すへては実力をつけてから「時代の大きな変わり目」を生き、サバイバルするのはたいへんなことだ。私たちはいま幸か不幸か、好むと好まざるとにかかわらず、そういう時代を生きている。
アンティークローブの「○nly the Paranoid Survive」(病的なまでに心配性な人だけが生き残る)という言葉を紹介したが、これは私の「座右の銘」でもあり、一見この言葉と矛盾するかのようなオプティミズムとを精神的に両立させることで、サバイバルできる確率が上がると思う。
「〇nly the Paranoid SurviveJという言葉は、日常の行動規範を律する考え方である。
いま自分かやっていることを、未来の観点から懐疑する感性がどれだけあるか。それが強ければ強いほどサバイバルできる。サバイバルしようとする強いエネルギーは、サバイバルできた先の世界への希望から生まれ、自らの現状へ懐疑の感覚を向けることで、日常の一瞬一瞬の「時間の使い方」 への関心が高まっていく。
世界の現実を眺めれば、「オプティミズムなんかどこから生まれるんだ」と言いたくなるほど深刻な問題が山積である。ただそれを「絶望的だ」と言っているだけでは、エネルギーが身体に満ちてこない。深刻な問題から目を背けていいとは思わないが、現実に絶望してがっかりし、子不ルギーが出ないのでは仕方ない。地球上はさまざまな矛盾や難題に満ちているが、それは過去から現在に至るまでずっとそうだったのであって、そう簡単に大きな破局を迎えたりはしない。人類の叡智をその程度は信頼してよいと思う。
私は「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考えて生きてきた。そのことに後悔はない。社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないではないか、いまもそう考えている。
本書ではお金について「飯を食う」「生計を立てる」という視点から語ってきた。それ以上の経済的余裕への志向性の強い人は、人生のある時期にビジネスに深く関わり「お金を稼ぐ」ことを強く意識して生きるという主体的選択をしなければならない。「お金のこと」をたえず考えながら、少しのリスクを取ってハードワークする時期が必要である。お金は、自由を得るための唯一ではないが、大きな武器のひとつだ。特に大変化の時代には、救命胴衣の役割も果たす。
それが誇るべきことなのか、悲しむべきことなのかは別として、私自身は父が死んだ二十歳のときから四十歳を過ぎるまで、「お金のこと」が頭から離れることがひと時もなかった。私か小学生の頃に、起こした会社を倒産させた父は、原稿を書きながら抱えた借金を返しつつ、私の大学二年までの学費を出してくれたが、死後に資産はほとんど残さなかった。火事場の馬鹿力とはよく言うが、大学三年のときからは家族の生活費の一部と学費を自分で稼ぎながら、休む間もなくふらふらになりながら二十代を生きた。
私白身が二十代でゴチャゴチャやっていたときに、今のような環境があったらどんなに色々と工夫の余地があり、可能性が広がったろうと思う。きっと毎日ブログを書き、SNSもフル活用しながら人脈のリーチを海外にまで広げ、「好きなこと」「やりたいこと」を探索しつつ「飯を食う」機会や「お金を稼ぐ」可能性を必死で探し続け、さまざまなチャンスにめぐり合っていたことだろう。これからの時代にウェブーリテラシーを持ち、サバイバルの意志を持って、リアルとネットを創造的に行き来しながら努力すれば、きっと道は開ける。ウェブは、「志」を持つ人にとって大いなる味方たる強力な存在なのだ。
若い人たちを見ていて、とにかく生きのびてくれよ、とんでもないことも色々あるこの世の中で何とかサバイバルしてくれよ、といつも願う。気がついたら放り込まれていたこの世の中で、まだ何ものにもなれていない若いときは「サバイバルすること」こそがまず重要で、それが達成できたあと、人生のある時期以降は社会全体のことを強く意識して生きていけばそれでいいと思う。これまでの私自身について言えば、ビジネスに深く関わり「お金のこと」に費やす時間が長かった前半生だったが、これからは「パブリックな意識」をより強く持ちたいと思う。
旧来からの社会の仕組みに適応でき、ルールががっちりした「古い職業」や「大きな組織」でも無理なくやっていける人たちは、いつの時代でも生きやすい。しかし、「時代の大きな変わり目」に生まれる「志向性の共同体」や「小さな組織」や「新しい職業」の増ウェブは自ら助くる者を日本社会のシステムにうまく合わずに苦しんでいる人たちにも、サバイバルの可能性を広げるものだ。世界の難題の解決と「もうひとつの地球」は難しい挑戦から、日々の仕事や知的生活の充実、趣味や楽しみの意外な発展にいたるまで、サバイバルした先にあるさまざまな未来の可能性をイメージしてみてほしい。そしてそれによって、一人でも多くの人の心の中にいまを生きるエネルギーが湧いてくれればと願うのだ。
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